母の死とがんゲノム医療

2019年9月17日に母が乳がんで亡くなった。
昭和31年12月1日生まれ、享年62歳だった。

母はがんゲノム検査という保険適用外の検査を行っていた。
(P5がんゲノムレポート、費用100万円程)
www.p5genome.com

残念ながらがんゲノムレポートは活用される事無く母は亡くなってしまった。
しかしながら、がんゲノム医療は今後ガン治療の主要な選択肢になっていくであろうから、
その記録としてインターネットに経緯を残しておく事にした。

がんゲノム医療については
漫画 フラジャイル 病理医岸京一郎の所見(15巻、16巻)がわかりやすく詳しい。
kc.kodansha.co.jp
(16巻は10月8日現在、未刊)

---------- 以下亡くなるまで時系列 ----------

2017年11月21日
母にがんの診断がおりた。
母は浸潤性小葉癌という乳がんで発見時は皮膚とリンパへの転移でステージIVだった。
しかし骨には転移しておらず、皮膚への転移も乳がんが有る左胸と同じということでステージ3C扱いで、根治を目指した。


トリプルネガティブ乳がんだったのでまずは抗がん剤治療のみ行った。
がんが小さくなったため2018年6月4日手術を行った。
その後は放射線治療を行った。

2019年2月5日
乳がんが再発した。


上半身に湿疹が沢山でき、調べたら乳がんが皮膚に転移したものだった。
(主治医も見た事がない症例で、最初は”何でしょうかね〜”という扱いだった)
しかし骨には転移していなかったため、抗がん剤治療を行い、がんと共存しQOLを上げていくという治療方針を決めた。
母は抗がん剤の影響で髪は抜けていたが、カツラをかぶって区役所の子供課で嘱託の仕事をしていた。
母子手帳の交付など行っており、とても仕事は楽しかったようだ。
また、琴や囲碁の友達にもめぐまれたようだ。
(葬儀の遺影はこの頃の琴の発表会のものを選んだ)

2019年7月16日
P5がんゲノムレポートを受ける。

2019年8月23日
効かなかったので、三種類目の抗がん剤の治療をはじめる。

2019年8月27日
母は腰が痛く動けなくなり入院した。
8月18日の週から腰に違和感は感じていたようだが、本人はぎっくり腰だと思っていたようだ。
しかし、トイレに行くのも難しくなり、ついに病院に頼み込んで入院させてもらった。
また、足にも小さなコブのようなデキモノが沢山できており、それが時々疼くようで、精密検査を行う事になった。
足のコブのようなデキモノへの影響を考慮して抗がん剤の治療を一時的にやめることになった。

2019年9月3日
母は区役所の子供課の仕事を辞めた。
ひたすら「悲しい」と言っていた。
ただ、「いつ頃退院かなぁ?」と退院を楽しみにもしていた。
(実際、9月14日に退院の予定だった)

2019年9月8日
腰痛と足の小さなコブのようなデキモノの検査の結果が出た。
腰痛はがんが骨に転移しており、骨がもろくなった事が原因だった。
(背骨が圧迫骨折しているのでは?という疑いもあった)
また、足のデキモノは悪性リンパ腫の疑いがあったが、精密検査をした結果”悪性リンパ腫とは言い切れない”とのことだった。
悪性リンパ腫乳がんの併発という最悪の展開を免れたので一安心だった。



しかし、「骨に転移したという事は、いままで穏やかに進行していたがんの性質が変わったかもしれない」とも主治医は言っていた。
(母のがんは薬は効きにくいものの、進行は遅いタイプだった)

ここで母が行ったがんゲノム検査の結果が返ってきた。
レポートには、"ここなら治験が行える可能性があります"という病院が海外のものを含めて幾つか書いてあった。
"治験を行うか?"、"標準治療の抗がん剤治療を行うか?"という話になった。
ゲノムレポートに書いてあった治験の段階はフェーズ Iやフェーズ IIのものだった。
フェーズ Iやフェーズ IIはまだ動物実験レベル。
しかし、治験を行わないとがんゲノム検査を行った意味が無い。
話し合った結果、家族一致で標準治療の抗がん剤治療を行うという事になった。
ただし骨にがんが転移した結果、血液を作る機能が落ち始めていたので、抗がん剤の使用はタイミングを見て行うという治療方針になった。

このとき、主治医とこのようなやりとりがあった。

私:「がんゲノム検査を行ったのはこの病院で何人ですか?」
主治医:「お母さんを入れて二人目です。」
私:「一人目の方はどうなったのですか?」
主治医:「亡くなられました」
とても不吉な予感がした。

2019年9月14日
40度近くの高熱が数日に一回出る事、腰がまた痛くなり動けない事を理由に退院は延期された。
血小板の数は4000程度になり、抗がん剤治療も延期されたままだった。

2019年9月16日21時頃
母からポケモンGOのギフトが贈られてきたので、「俺の送ったギフトも開けてほしい」とメールをしたところ、
「母の体調は最悪です。ポケモンどころではありません。母は疲れたのでもう寝ます。」と返ってきた。
聞くと、見舞いに来た長女が母の携帯で遊んでいたらしい。
母に「また明日ね」とメールをした。

2019年9月17日
6時頃、母にメールで「おはよう」と送っても返事が無い。
9時頃、「調子は?」と送っても返事が無い。
9時32分、妹からメールで「病院から呼び出しかかった」と連絡が入る。
10時45分、長女が先生にお悔やみを言われる。
18時、病院に到着。長女から前日を含めてどのような最後だったのか聞く。

---------- 以下のようだったらしい。 ----------
前日は母のお見舞いをした時に話は出来たが、ずっと目をつぶったままだった事
ご飯は全部食べた事
話をしていていると急に眠り、長女が「今寝てたでしょ〜?」と言うと「寝てないよ」というやりとりが何回かあった事
当日は長女が病院に駆けつけると、母は目は半開きで苦しそうに息をしていた事
看護婦さんが朝の巡回を行った時はすでにその状態だった事
長女の呼びかけには答えなかった事
そのうち呼吸が弱くなり、長女が看護婦さんに「息して無いですよ!」と言うと、看護婦さんが母の名前を大声で叫んだ事
主治医の先生は手術中で来られなかった事
人工呼吸などはやらなかった事
看取ってくださった先生が、「眠ったようなお顔ですし、最後は苦しくは無かったはずですよ」とおっしゃった事。
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18時20分、主治医の先生から説明を受ける。

---------- 以下のような内容だった。 ----------
想定外の事態だった事
死因は乳がんだが、直接の原因はわからない事
血液検査の結果では、血小板が少ない以外に異常は見られなかった事
抗がん剤が効きすぎてがん細胞が一気に死に、その毒素が血液に一気に流れ出た事によるショック死の可能性が有るが、8月23日を最後に抗がん剤治療はやっておらず、その可能性も薄いとの事
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---------- 時系列ここまで ----------

解剖をして死因を調べる事もできたが、長女が望まなかったのでやらなかった。
自分の中のがんは"朦朧とした中で痛み止めを打ちつつ、ガリガリにやせて亡くなる"というイメージだったので、前日にメールでやりとりが出来て、眠るように突然亡くなった母の死は本当に想定外だった。

結果としてがんゲノム検査は残念ながら母の治療に生かす事は出来なかった。
ゲノムレポートに書いてあった適用できる可能性がある治験の段階がフェーズ Iやフェーズ IIのものだったからだ。
また、母のお世話になっていた病院は乳腺科に力を入れてはいたものの、がんゲノム検査のレポートを生かして治療に役立てるということは手にあまるような感じだった。
調べたところ、ゲノム検査の結果で判明した薬を患者に処方できる割合は10%程度しか無いそうだ。
そういう意味では検査の結果を治療に反映させる事がいまは難しいといえるのかもしれない。

それを承知だったかはわからないが、抗がん剤がなかなか効かない状態の中で100万円という安く無い費用を払って母は勝負をした。
母は新しもの好きだったし、"何事も興味を持ったものはやってみる"という性格だったので、検査とその結果には満足していたと思う。
もちろん、あなたのガンにはこの薬が効きます!という検査の結果が出るのが一番だったと思うが...

NDA等は特に聞いてないので、母のがんゲノムレポートを公開したいと思う。

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また、母は遺伝子検査も行い、乳ガンが長女に遺伝しないかどうかも調べていた。
(費用は20万円程度。残念ながら書類見つからず。女優アンジェリーナ・ジョリーが行った事で有名)
不幸中の幸いで母のガンは遺伝性ではなかった

遺伝子という一人一人異なるものを調べて、ガンを予防したり治療に生かしたりというがんゲノム医療
気軽に使えるようになるのはまだ5年10年先になるだろうが、そのような未来が早く実現し、少しでもガンで苦しむ人が少なくなれば良いと思う。
もちろん、ガン検診は予防のために積極的に行くべきだと思う。

この内容を公開すべきか悩んだが、がんゲノム検査を受けようか悩んでいる人の一助になれば良いと思い、インターネットに経緯を残しておく。